「シートベルト」【1】車を運転するときに、一時期シートベルトをしていなかった時期があった。(今は、ちゃんとするけどね) 乗車したときに、ベルトを装着するのが面倒だったような気がする。乗ったら、すぐ発車する刑事ドラマみたいなのがいいと思ってたのかもしれない。 だから、ときどき、警察に捕まった。反則金なしの減点1点だから、何回かは捕まってもいいと考えていた。 検問に引っかかったときなど、なんで自分が止められたのか気がつかず 「おまわりさん、俺、何も悪いことしてないんだけどね」などと、言ったこともあった。 警察官は、「これだ!これ!」と手を斜めに動かして、シートベルトの検問であることを知ったこともある。 神戸に言った頃も、シートベルトはしていなかった。 【2】 神戸の街を、車で走っていたら、突然、横から警官が出てきて、赤い旗を振った。その旗には「とまれ」と書いてあった。 素直に止まった。スピード違反の取り締まりだろうか。震災直後は、交通取り締まりなど手が回らなくて、取り締まりも緩かったと聞いていたが、落ち着いてきて、交通違反にもきびしくなってきたか。 車を降りてみると、かわいい女性警官がきれいな笑顔で話しかけてきた。 「シートベルトの検問中でーす。こちらの交番まで来ていただけますか」 最近は、婦人警官にこんなかわいい子がいるんだと驚きながら、サラサラ髪の笑顔の警官と並んで歩くのがうれしかった。 たぶん、検挙されてうれしく感じたのは初めてで最後だったように思う。シートベルト不着用で減点1点など、どうでもいいと感じていた。 【3】 俺は、その女性警官が取り調べすると思っていた。うきうきしていたのだ。 実際は、中年男性警官の前に座らされた。女性警官は、同僚たちと談笑している。「呼び込み」だけか。がっかりした。 免許証を渡して、違反切符が書かれる間、ぶすっとして黙っていた。隣では、やはり捕まった違反者が、やたらとしゃべっている。 違反切符が書かれたようなので、サインをして、拇印を押して、さっさと帰ろうとした。 中年警官は「ちょっと待ちなさい」と言う。 「いえ、待ちません。違反をして、切符をもらったので用はありません。帰ります」 と言って、立ち上がりかけたら、 「まあ、話を聞きなさい」と言う。 シートベルト違反ごときに、時間をかける警察官だなと思った。よほどひまなのか。 なにを言いたいのかわからないが、話があるというから、座りなおした。 【4】 中年警官は、俺が座ったのを見て話し出した。 「あのな、今回シートベルト不着用ということで止められたけど…」 話が長くなりそうだな。 「はい、わかりました。すいませんでした!これから、シートベルトをします!」 よし、これで話は終わったろうと腰を浮かしたら 「そうじゃないんだ。ま、聞きなさい」 「いや 、そうでしょう。間違ったことは言っていません」 「たしかに、間違ったことは言っていない。そうじゃなくて、シートベルトをしていない事故で大けがや死ぬ人もいるんだから、シートベルトをしていないことは、危険なことなんだ。シートベルトが自分の命を守ってくれているという気持ちでいてほしいんだ」 と、俺に口をはさめないように、一気にまくしたててきた。 【5】 「お上が『シートベルトしろ』っていうから、それに従ってればいいっていうのか?」 「そうじゃない!事故のときシートベルトをしていたおかげで助かった人が多いんだよ。自分の命を守るために、シートベルトはするものなんだ」 「自分の命を守るのは、運転技術だよ。腕な だよ、腕。シートベルトみたいな物に頼ってるか!」 と、自分の腕をたたいて見せた。 「そういうことじゃないんだ。注意をしてても事故は起こるんだから、最後の最後でシートベルトが守ってくれるんだよ」 「ああ、そう。わかったって課長か署長に伝えておいて。喜ぶとおもうわ」 「課長や署長は、どうでもいいんだよ。あんたが大事なんだから」 「課長や署長はどうでもいいって?」 「ああ、どうでもいい」 【6】 その中年警官の、上はどうでもいいと言う言葉を聞いて、単純に一般ドライバーのことを考えてくれてるんだなと思った。 「わかった。最後の守りとしてシートベルトするよ」 「そうか、わかってくれたか。よかった」 俺は、もうほんとに帰ろうと思って 「それじゃあ」と言って、敬礼した。 中年警察官も、敬礼を返してくれた。 「気をつけていけよ」と言われて 「ありがとう」と答えた。 交番を出るとき、引き戸が閉まってることに気づかず、ガラスに当たった。 「シートベルトの前に、出入り口に気をつけなくっちゃね」と、苦笑いをして見せた。 「おお、気を付けて行けよ」 「ありがとう」 引き戸を開けて、晴天のまぶしい神戸にで出かけて行った(終) 《 現場監督時代目次へ 》 《 目次へ 》 《 HOME 》 |